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福岡地方裁判所 昭和46年(わ)772号 判決

被告人 犬山壽廣 外一四名

主文

被告人犬山壽廣、同高畑聖二、同緒方高明を各懲役七月に、被告人中園光博、同米川均を各懲役六月に、被告人古賀誠一、同門川勝廣、同新見泰博、同蔵園典夫を各懲役五月に処する。

未決勾留日数中、被告人犬山壽廣に対しては五〇日を被告人高畑聖二に対しては二〇日を、被告人緒方高明に対しては八〇日をそれぞれその刑に算入する。

この裁判確定の日から、被告人犬山壽廣、同古賀誠一に対してはいずれも四年間、被告人高畑聖二、同緒方高明、同門川勝廣、同中園光博、同蔵園典夫、同米川均に対してはいずれも二年間、被告人新見泰博に対してはいずれも二年間、被告人新見泰博に対しては一年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人川原秀夫、同田上和則、同中川秀文、同阿部和利、同合田修二、同松原達雄はいずれも無罪。

訴訟費用は被告人犬山壽廣、同高畑聖二、同緒方高明、同古賀誠一、同門川勝廣、同新見泰博、同中園光博、同蔵園典夫、同米川均の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人犬山、同高畑、同緒方、同古賀、同門川、同新見、同中園、同蔵園、同米川は、いずれもいわゆる革マル派に属するかあるいはその同調者であるが、昭和四六年一〇月二一日、福岡市中央区六本松四丁目二番一号所在の九州大学教養部構内本館正面玄関前付近において、沖縄返還協定批准阻止等を標ぼうして多数の学生らと共に集会やデモのため集合した際、革マル派系の学生ら一二〇名ぐらいの集団の中にあつて、長さ約三ないし四メートルの旗ざおを所持してデモ行進していたが、かねて運動方針や学生自治会の主導権などをめぐつて対立関係にあつたいわゆる民青派系の学生らの集団と接触をするや、同日午後三時三三分ころから同三時三四分ころまでの間、革マル派系の学生ら数名と共に、民青派系の学生らの身体に対し共同して害を加える目的をもつて、所持していた旗ざおを振りあげたり、水平にかまえて突きかかるなどし、もつて多数の旗ざおを兇器として準備して集合したものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人川原、同田上、同中川、同阿部、同合田、同松原に対する無罪の理由およびその余の各被告人に対する有罪認定の補足説明)

一  被告人川原、同田上、同中川、同阿部、同合田、同松原に対する公訴事実

右被告人らはいずれもいわゆる革マル派に所属するものであるが、同派の学生ら約五〇名と共謀のうえ、昭和四六年一〇月二一日午後二時二五分ころから同三時四〇分ころまでの間、福岡市西区田島一丁目二番一号九州大学田島寮から同市中央区六本松四丁目二番一号九州大学教養部に至る間の道路および同教養部構内において、かねてより対立関係にあるいわゆる中核派、反帝学評派、民青派などの学生らの身体に対し、共同して害を加える目的をもつて前記革マル派の学生らと共に多数の竹ざおを兇器として準備して集合したものである。

二  当裁判所の判断

(一)  前掲各証拠に、(証拠略)を総合すると、つぎの(1)、(2)、(3)の各事実が認められる。

(1) 昭和四六年の夏休み明けころから、九州各地の大学の学生自治会は、同年一〇月二一日の国際反戦デーに、九州の中心たる福岡市に結集して、沖縄返還協定批准阻止のための政治集会やデモ行進を計画して準備していたが、革マル派に属しまたはそれに同調する者らも、九州各地から福岡市に来て、同年一〇月二一日福岡市西区田島所在の九州大学田島寮に集まり、正午すぎころ寮内において集会を開いた。たまたまその一両日前、横浜国立大学の革マル派の学生水山某が中核派と推測される者から殺害されるという事件があつて、集会のスローガンとして水山君虐殺糾弾が加えられ、集会において、沖縄返還協定批准阻止とならんで中核派を弾劾する演説がなされ、その他逮捕されたときの注意などがあつた。一方同寮内においては民青派も集会を開いたが、同派はかねてから革マル派とは自治会の主導権や、運動方針をめぐり、また以前に琉球大学の革マル派に属する町田某が民青派と推測される者に殺害される事件があつたりして対立関係にあつた。

(2) 同日午後二時すぎころ、被告人らを含む革マル派系の学生ら一二〇名くらいは、同派の者によつて用意されていた喪章を着け、各自が幅一メートル前後の大きい旗や幅三〇ないし五〇センチメートル位の小さな旗をつけた長さ約三ないし四メートルの旗ざおを持つた約四〇ないし五〇名からなる者を一梯団とし、他の旗ざおを持たずにスクラムを組む者を一梯団として、二梯団となつて第一梯団である旗ざお部隊を先頭にして右田島寮を出発し、デモ行進をしながら、午後二時三七分ころ、同市中央区六本松四丁目二番一号所在の九州大学教養部正門から構内に入つた。途中別府橋付近から警察機動隊と併進して来たが、それまでの間は何らトラブルは起きなかつた。九大教養部構内に入つた革マル派集団は、玄関前において、すでに集会中の民青派集団のまわりを、旗ざおを前方斜めに倒したり、ある者は旗ざおで民青派のプラカードを突いたりしてデモ行進し、そのあと学生会館に向い、会館前でジグザグデモを行い、また旗ざおを前方斜めに倒して会館に突入の構えをするなどして気勢をあげた。そのころ右学生会館には屋上に青ヘルメツトなどをつけた学生が一〇名ぐらいいたが、トラブルはなかつた。革マル派集団はその後玄関前に戻つて集会を開き、中核派糾弾や他セクトの運動方針を批判する演説を行い、すぐそばで集会をしていた民青派集団との間でやじの応酬をした。その間午後三時二〇分ころ、赤ヘルメツトをつけた九大の理学部と工学部系のノンセクトの集団数十名が前記教養部構内に入り、シユプレヒコールをあげながら構内をデモ行進し始めた。午後三時三〇分ころ、革マル派集団は集会を終り再び玄関前広場でデモ行進を始めた。旗ざお部隊は旗ざおを前方斜めに倒したりして民青派集団や植込みのまわりを左まわりにまわり、スクラム部隊は初めのうちは旗ざお部隊の後についていたが、ジグザグ行進をしているうちに旗ざお部隊と距離がかなりはなれてしまつた。午後三時三三分ころ、革マル派集団のスクラム部隊が集会中の民青派集団の演説者と集団の間を割り込むような形でデモ行進したので、両者の間に小ぜり合いが起り、それを見た革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分が両者の間に割つて入ろうとし、その約十名位の者は所携の旗ざおを水平に構えて、民青派集団に突きかかつた。このとき正門横の道路上で待機していた警察機動隊の第一中隊に属する三個小隊が直ちに制止ならびに逮捕のため正門より学内に入り、西門付近で待機していた第二中隊も無線で連絡を受けて直ちに同じ目的で、第二中隊のうち第一小隊は西門から校舎の西側を通つて玄関前へ、その余の二個小隊は校舎の東側を回つて玄関前に達した。発見が早くかつ最も近いところにいた第一中隊が現場に到着したのは午後三時三四分ころと推定されるが、到着した機動隊は直ちに革マル派と民青派との分断、革マル派の旗ざお部隊とスクラム部隊の分断をはかる一方旗ざおを民青派の方に向けて構えていた革マル派集団の中の数名を第一次逮捕し、革マル派集団はある者は旗ざおをすて、あるものはそのまま同大学教養部本館正面玄関の方へ逃げた。そして、玄関前付近において、東の方を向いて隊列を整えようとしているとき、第二中隊の機動隊が現場に到着し、第一中隊とともに三方からはさむような形で第二次の逮捕を行つた。

(3) 九大教養部構内における革マル派集団のデモ行進において、被告人合田は旗ざお部隊の指揮をし、被告人松原は本館前のデモに際し一時スクラム部隊の指揮をした後、前記第一次逮捕後の隊列立て直しの指揮をとり、被告人阿部、同中川はデモ行進の隊列外にあつて、しかも旗ざお部隊の先頭部付近を行進していることが多かつたが、以上の被告人らはいずれも旗ざおは所持していなかつた。その余の被告人らはいずれも旗ざお部隊の隊列内にあつて旗ざおを所持していた。

(二)  長さが三ないし四メートルの旗ざおはそれが旗ざおとして使用されている限りではもとより兇器ということはできないが、それを用いて突いたりたたいたりするときは、人を殺傷することが十分可能であり、他人をして危険感をいだかせるに足りるものであるから、外観上その旗ざおが武器として使用されるものであることが覚知される状況になつたときは兇器性を帯有するに至るものというべきである(昭和四六年三月一九日東京地方裁判所判決参照)しかして、被告人らを含む革マル派集団が、九大田島寮を出発してから、九大教養部に至るまでは、通常の旗ざおの用法に従つて使用していたものと認めざるをえないので、被告人らの内心の意図はともかくとして、この段階で、被告人らの所持した旗ざおを兇器に該当するものと認めることはできず、従つてこの段階ではいまだ被告人らに兇器準備集合罪は成立しないものといわなければならない。

つぎに、革マル派集団が九大教養部構内において旗ざおを前方斜めに倒してデモ行進したり、前方斜に持つて学生会館に突入の構えをした段階においては、旗ざおの通常の用法とは認め難く、攻撃的な態度の表明とも受け取れなくはなく、特にプラカードを突いたりした一部の者の行動やその旗ざおの数量、革マル派と民青派との関係等をあわせ考慮すると、既に革マル派集団の旗ざおは兇器性を帯有するに至つたのではないかとの疑もないではないが、その行為の態様は、主として隊伍を組んだデモ行進の中でなされ、しかも大勢としては単に進行方向に旗ざおを前方斜めに倒して突つ込むような構えをするにとどまつたこと、そして、革マル派集団が最も敵対感情を持つていたと思われる中核派は当日は九大教養部にいなかつたこと(学生会館の屋上に中核派の学生が一〇名位いた旨の証人丸山恒男の供述は他の証拠と対比して信用できない)、当時周辺には多数の学生がい集し、また機動隊も近距離に待機して各派の行動を見守つていたことおよび右旗ざおはすべて通常のもので、特に先端をとがらせたり釘を打ちつけたりなどの加工を施したものはなかつたことなどから考えて、革マル派集団の右行動は、その政治的立場(沖縄返還協定批准阻止闘争)やセクト間の主導権や運動方針をめぐる争いについて、より強く自派の態度を表明し、デモンストレーシヨンの効果をあげるためのものとも考えられるのであつて、この段階では、その方法はもとより妥当なものとはいいえないが、いまだかならずしも明らかに具体的な加害行為を予想しうる状態に達したものとは認め難いから、この段階の旗ざおに兇器性を認めることは兇器準備集合罪に関する法制定の経過に照しても妥当ではない。

しかしながら、革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分が、旗ざおを水平に構えて民青派集団に突きかかろうとした段階においては、明らかに具体的な加害行為を予想させるものであり、外観上旗ざおが加害の武器として使用されるものであることを一般に覚知せしめるに十分な状況にたち至つたものと認めざるをえないし(特に司法巡査吉原秀隆作成の写真撮影報告書中17、18、19、20、21の各写真参照)、この段階においては、少なくとも、革マル派の旗ざお部隊の先頭部分にいて旗ざおを水平もしくはそれに近い状態で民青派集団の方に向けて構えている者の所持する旗ざおについては兇器性を帯びるに至つたものということができる。そして、これらの者のうちの大部分の者はつぎの瞬間民青派集団に対して旗ざおを振り上げたり突き出す行為をしたことが認められるので、これらの者が民青派集団に対し共同加害の意思を有していたことも優に認められ、兇器準備集合罪の成立を否定することはできない。

(三)  ところで、前掲証拠中、各写真撮影報告書添付の写真によれば、本件こぜりあい当時、革マル派の旗ざお部隊のうち、旗ざおを水平もしくはそれに近い姿勢で構えている者は、先頭部分の二ないし三列までの者だけであつて、後の方にいる者は旗ざおを立てていたことが認められるので、旗ざお部隊全体として民青派集団に対する共同加害の意思を形成していたとは認め難く、さきに認定した革マル派集団と民青派集団との対立関係に基づく対立感情が両派集団の個々人にあつたところに、革マル派集団のデモ行進が、民青派集団にとつて挑発的であると受け取られ、そこに両派のこぜり合いが発生し、それに基因して本件兇器準備集合事件が起つたもので、革マル派集団においてあらかじめ計画的に挑発をし、加害行為に出ようとしたことをうかがわせるに足りる資料はなく、結局本件は偶発的に生じたものであると認めるのが相当である。しかして、本件こぜりあいにあたり兇器性を帯有するに至つた旗ざおは旗ざお部隊の所持する旗ざおのうちの一部であり、これらが革マル派集団の共用の兇器として準備されたものと認め難いことは前記説示に照らして明らかであり、しかも、本件こぜりあいが発生してから、機動隊が到着し、第一次の逮捕者を出して革マル派集団が逃げ出すまで、極めて短時間(長くとも一分間ぐらいと認められる)であつたことをあわせ考えると、革マル派集団中の旗ざおを所持していなかつた者が、兇器の準備してあることを知つて、民青派集団に対する共同加害の目的をもつて、あえて勢をそえるためにその場にとどまつたと認めることも困難であるから、旗ざおを所持していなかつた被告人中川、同阿部、同合田、同松原について、兇器準備集合罪の成立を認めるには、なお疑問の余地があり、犯罪の証明が十分でないといわなければならない。

(四)  つぎに、第一次の逮捕のあと、革マル派集団が隊列を整えようとしたとき、第二次の逮捕が行なわれているが、証人上川博樹の当公判廷(第九回)における供述および司法巡査日比生正毅作成の写真撮影報告書によれば第一中隊の第一小隊が第一次の逮捕活動を始めると、革マル、民青両派の突きあいは間もなくおさまり、革マル派集団は玄関前付近で東の方を向いて体勢を整えようとしたことが認められる。前記上川証人は、その後、接着してさらになぐりあいがあつた旨供述し、司法巡査西村一英作成の写真撮影報告書添付写真5、6(一四四四丁表)および司法巡査東野邦弘作成の写真撮影報告書添付写真4ないし7(一四九六丁裏から一四九七丁裏)にはいずれも革マル派集団が体勢を整えている状況を、内ゲバの状況と説明を記入し、また、司法巡査吉原秀隆作成の写真撮影報告書添付写真二五、二六(一五一八丁表)を民青派に対し再度突撃する革マル派学生の状況と説明しているけれども、前記日比生正毅作成の写真撮影報告書添付写真二〇(一四〇四丁裏)によれば、同時刻ころ革マル派集団の向かつている方向に民青派集団らしきものは見あたらず、かえつて前掲証拠によれば、第一次逮捕によつて民青派集団は正門付近あるいは西の方に分断されて押されるかあるいは逃げ、革マル派集団は玄関前付近に制圧されたものと認められ、さらに第一次逮捕によつて既に数名の逮捕者を出した革マル派集団が、機動隊の目前でつぎの攻撃を行うということも極めて不自然であって、先に認定したように第一次逮捕によつてまもなく革マル派集団の民青派集団に対する攻撃状態は終わつて、その後は革マル派集団は単に隊列を整えようとしていたものと認めるのが相当であり、従つて第一次逮捕が終了した段階ではもはや兇器準備集合の状態ではなかつたということができる。この点に関する前記上川証人の供述や同旨の証人丸山恒男、同丹下文男の各供述および前記西村、吉原両巡査作成の各写真撮影報告書添付写真中の同趣旨の説明書は、証人田中敏秀、同柴田正明の各供述等と対比しても、革マル派集団が旗ざおを前方に斜めあるいは水平に構えて隊列を整えようとしていたため、なお攻撃に出たものと誤認したものとも考えられいずれもたやすく信用できない。従つて、前記被告人中川、同阿部、同合田、同松原を除くその余の被告人らについては、いずれも旗ざおを所持していたものであるが、以上認定のように、第一次逮捕の際ないしはその直前に加害の体勢を取つていた者のみを有罪と認定すべきであると考える。

(五)  以下これらの被告人らについてこの点を検討する。

(1) 被告人犬山壽廣について

(証拠略)によれば、同被告人は第一次逮捕の直前、革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて、民青派集団に対して旗ざおを水平にかまえ、突きかかろうとする体勢を取つていたことが認められる。

(2) 被告人高畑聖二について

(証拠略)によれば、第一次逮捕の直前、同被告人が革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて旗ざおを水平に持つて民青派集団に向つて突込んでいたことが認められる。

(3) 被告人川原秀夫について

(証拠略)によれば、警察官柴田正明は、第一次逮捕の際、革マル派集団旗ざお部隊の後列の方で旗ざお部隊がさがつて来る勢に押されて中腰になつて旗ざおを持つていた同被告人を現認し、上野巡査の協力をえて逮捕したことが認められるが、同被告人が旗ざおを民青派集団に向けて構えたり、または突いたり、たたいたりあるいは対峙の際先頭部分にいたことを認めるに足りる証拠はない。

(4) 被告人田上和則について

第一次逮捕の終了後は兇器準備集合状態にあつたとは認め難いことは前説示のとおりであり、また前記上川証人は、第一次逮捕後、同被告人が旗ざおで民青派集団に対して二・三回なぐりかかつたのを現認した旨供述するが、右供述の信用し難いことも前示のとおりである。そして、(証拠略)によれば、当時同被告人が革マル派集団の旗ざお部隊に加わつて、九大教養部本館正面玄関前付近において旗ざおを前方斜めに倒してデモ行進していたことは窺われないわけではないが、前掲挙示の各写真撮影報告書添付の各写真、特に司法巡査吉原秀隆作成の写真撮影報告書添付写真一八ないし二五(一五一四丁表ないし一五一八丁表)と対比して考察すれば、前記向野巡査撮影の各写真は、いずれも第一次逮捕の際ないしはその直前に、革マル派集団の旗ざお部隊が民青派集団に対し旗ざおで突きかかろうとしたときのものとは断定し難いので、いまだこれをもつて同被告人に兇器準備集合の罪責を問う資料となすに足らず、他に第一次逮捕の際ないしはその直前の同被告人の行動を認めうる証拠はない。してみれば、同被告人については犯罪の証明がないものといわなければならない。

(5) 被告人緒方高明について

証人山本秀の当公判廷(第九回、第一〇回)における各供述と司法警察員伊豆丸常夫外一名共同作成の写真撮影報告書(一二四〇丁表から一二四二丁裏まで)によれば、第一次逮捕の直前、同被告人が革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて民青派集団に対し、旗ざおで小きざみにたたいたり、突いたりしたことが認められる。

(6) 被告人古賀誠一について

同被告人が旗ざおを所持して終始革マル派集団の旗ざお部隊の比較的前列に位置してこれに加わつていたことは、同被告人の当公判廷(第一九回)における供述と司法警察員森和輝作成の被疑者特定写真綴の作成についてと題する書面(一六七四丁表から一六九一丁裏まで)によつて認められ、しかも前記司法巡査吉原秀隆作成の写真撮影報告書添付写真一八(一五一四丁表)(前記司法警察員森和輝作成の被疑者特定写真綴の作成についてと題する書面添付写真八(一六八三丁表)はその拡大写真)によれば、同被告人は第一次逮捕の直前ころ、旗ざおを民青派集団の者と引っぱりあつていることが認められる。してみれば、同被告人の所持していた旗ざおの先端部分が民青派集団の者の手の届くところにあつたことが推認できるので、同被告人は当時革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分で旗ざおを民青派集団の方に向けて構えて同人らと対峙していたと認めるのが相当である。

(7) 被告人門川勝廣について

(証拠略)によれば、同被告人は第一次逮捕の直前、民青派集団の者と旗ざおのうばいあいをしていることが認められる。してみれば、同被告人の所持していた旗ざおの先端部分が民青派集団の手の届くところにあつたことが推認できるので、同被告人は当時革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて、民青派集団の方に向けて旗ざおを構えていたと認めるのが相当である。

(8) 被告人新見泰博について

証人日比生高宏(第一一回)、同渡辺達哉(第一二回)の当公判廷における各供述によれば、第一次逮捕の直前、同被告人が革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて、民青派集団に向つて旗ざおを肩の上あたりまで振り上げていたことが認められる。

(9) 被告人中園光博について

証人盛川博昭の当公判廷(第一一回)における供述によれば、第一次逮捕の直前、同被告人が革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて民青派集団に向つて旗ざおを振りおろしていたことが認められる。

(10) 被告人蔵園典夫について

(証拠略)によれば、同被告人が第一次逮捕の直前の革マル・民青両派集団の対峙のときに、革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて旗ざおを民青派集団の方に向けて構えていたことが認められる。

(11) 被告人米川均について

(証拠略)によれば、第一次逮捕の直前、同被告人が革マル派集団の旗ざお部隊の先頭部分にいて民青派集団の方に旗ざおを向けて、五、六回小きざみにたたいていたことが認められる。

(六)  よつて、被告人川原、同田上、同田上、同中川、同阿部、同合田、同松原については、前記説示のとおり同被告人らに対する前記各兇器準備集合の公訴事実につき、いずれも犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により右被告人らに対してはいずれも無罪の言渡しをする。

(確定判決)

一  被告人犬山は昭和四六年一〇月一二日東京地方裁判所で兇器準備集合罪、公務執行妨害罪により懲役一年(二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同年同月二七日確定したものであつて、右事実は検察事務官作成の前科調書および同被告人の当公判廷(第二三回)における供述によつて認められる。

二  被告人古賀は、昭和四九年三月一九日熊本地方裁判所において、兇器準備集合罪等により懲役一年二月(四年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同年四月三日確定したものであつて、右事実は検察事務官作成の電話聴取書および同被告人の当公判廷(第二六回)における供述によつて認められる。

(法令の適用)

被告人犬山、同高畑、同緒方、同古賀、同門川、同新見、同中園、同蔵園、同米川の判示各所為はいずれも刑法二〇八条の二の一項、罰金等臨時措置法三条一項一号(但し刑法六条、一〇条により昭和四七年法律六一号による改正前の規定を適用する)に該当するので、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人犬山、同古賀についてはいずれも前記確定裁判を経た罪があり、同被告人らの判示各罪と右確定裁判を経た罪とは刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示各兇器準備集合罪についてさらに処断することとし、いずれもその所定刑期の範囲内で、被告人犬山、同高畑、同緒方を各懲役七月に、被告人中園、同米川を各懲役六月に、被告人古賀、同門川、同新見、同蔵園を各懲役五月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中、被告人犬山に対しては五〇日を、被告人高畑に対しては二〇日を、被告人緒方に対しては八〇日をそれぞれその刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から、被告人犬山、同古賀に対してはいずれも四年前、被告人高畑、同緒方、同門川、同中園、同蔵園、同米川に対してはいずれも二年間、被告人新見に対しては一年間、それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条本文に従つて被告人犬山、同高畑、同緒方、同古賀、同門川、同新見、同中園、同蔵園、同米川に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

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